SEVEN
あなたの瞳は、本当は誰を見ているの?
重い体の感覚。それは体が目覚めたことを意味していた。
目を開けるのも億劫だったけれど、オズはゆっくり目を開ける。視界に入るのは、見慣れた自分の部屋の天井ではない。何日か寝泊りした、パンドラ内に与えられた『自分の』部屋だった。
ここは自分の居場所なのだろうか、と感じていた思いが更に強くなる。それでもなんとか生きて帰ってきたのだ、と少しばかりの安堵を感じてオズは起き上がろうとした。
そうして気付く。自分のベッドに突っ伏す形でギルバートが寝入っていることに。
その光景を見るのは初めてではなかった。まだオズもギルバートも幼かった頃、オズを寝かしつけると言い張って、結局ギルバートもそのままそこで寝入ってしまったことが何度かあって。そのうちの一度は寒い日であったものだから、当然ギルバートは酷い風邪を引いてしまい主人であるオズと二人一緒に「注意が足りない」と怒られたものだ。それでもギルバートが眠るオズにつくのをやめることはなかった。
今もそうしていてくれたのだろう。
軽い寝息が聞こえるのを嬉しく思い、オズは思わずその頭に手を伸ばした。しかしその瞬間、昨夜の出来事が脳裏に蘇る。
───ジャック!
ギルバートの声が蘇る。
頭がずきりと痛んだ。オズはほんの少し躊躇ったものの、結局ギルバートに触れることなく手を戻した。
わかっていた、ギルバートの本当の主人が誰なのかを。100年前に生きていたジャック=ベザリウス。それが本当の主人だ。主人をなくし、同時に記憶までなくしてしまった幼いギルバートは自分を代わりの主人にした。それだけ。
何故なのかはわからない、だけどギルバートは常に『仕える誰か』を必要としている。それがたまたま自分になったことは偶然か、それとも必然か。そんなことを考えても仕方のないことはわかっているのに、嫌でも頭に浮かんでくる。
ジャックが中にいなければ、自分を主人と慕うこともないのではないか。本当は「オズ」ではなく「ジャック」と呼びたいのではないか。だから、きっとあのとき。そう考えると、自分の中、体の中でも心の中でもどこでもない、だけど深淵にいるジャックに憎しみすら湧いてくる。
ギルバートは自分のものだと思っていた。従者としても、大切な存在としても自分のものだと。それを取られてしまったような気がして。消せるものなら消してしまいたい。
無意識のうちに、オズは着ていたシャツの胸元をぎゅっと握っていた。
こつこつこつ。窓を叩く音に気付いたのはそんなとき。
結局ブレイクに付き合わされただけで、ほとんど収穫はなかった。シャロンの一件も手伝って、気分が良いとはあまりいえない。
そろそろ朝食を摂りに行ってもいい時間だが、そんな気分にはなれなくて、オズは足を自分の部屋へ向けた。せめて気分の良くなるハーブティーでも入れてもらえたらいいのに。そう考えてオズの気分はますます悪くなる。
あの頃オズの飲むお茶を入れるのはギルバートの役目で、ギルバートならなにも言わずともオズの飲みたいものを的確に持ってきてくれたのだから。だけどそれすら今は望めないし、その気遣いの意味も考えたくなかった。
「オズ!?どこへ行って……いないから心配したんだぞ」
自室へ続く廊下への角を曲がったところでギルバートの姿が見えた。手になにかを持っている。それはお茶に使うティーコゼーだった。
「あ、うん……ちょっとね」
「そうか……。顔色がよくないぞ。まだ気分が悪いんじゃないか?」
曖昧にはぐらかすと、ギルバートは気遣わしげな顔を向ける。昨日の今日だ、ギルバートに心配をかけたはずだしおとなしくしているべきだったのだろう。それでも眠っているギルバートを置いてブレイクの誘いに乗るほどには、ギルバートのそばにいることが辛かった。
ギルバートはそんなオズを覗き込んでくる。そして肩を抱くように部屋へと促した。
「とにかく部屋に戻れ。あんまり無理をするな」
「……うん」
普段のオズだったら「そんな心配要らないよ。オレならヘーキ」とでも答えていただろう。そんな言葉も出なかった。
しかし部屋に入り、そこにあったものを見たときは目を見開いた。
そこにあったのは、見覚えのある懐かしいティーセット。そしてハーブの穏やかな香り。なにもかも、あの頃のままだった。
「ギル、これ、どうしたの……」
呟くと、ギルバートは途端にあたふたとした様子を見せた。おぼつかない手つきでティーポットにコゼーをかける。
「え、ええとな、ここで少しでも暮らしやすくなるようにオスカー様に譲っていただいたんだ。幸いお前の使っていたものは全部とってあったから……」
近付いてティーカップを手に取る。それは10年前に気に入って使っていたティーカップだった。保管方法が的確だったのだろう。金の文様も色あせずにそこにそのまま残っていた。
「め、迷惑……だったか……?勝手なことをして……」
嬉しいと、そう思った。なのにギルバートときたら、独断でことを進めてしまった引け目からか、なにやらびくびくしている。オズは一つ息を飲み込むと、ギルバートを振り返った。
「ギル。お前の主人は誰だ?」
「え……、別に、オスカー様にお願いしたのはそういう意味だからじゃ」
「そうじゃない。いいから答えろ」
強く見つめる。「怒られるのか」と顔に書いてあるほどおどおどしていたギルバートも、それでようやくまっすぐな視線になった。
「オズ。オレの主人はオズだけだ」
金の瞳はまっすぐにオズを見つめている。その瞳に映るのは自分。あのときのような、中にいるジャックを見ている眼ではない。いつもどおり、ちゃんと『オズ』を見つめていた。
「……そっか。ならいい」
オズは鋭くしていた目つきをふっと綻ばせた。だってここにあるのは自分のカップ、自分の気に入りの紅茶。『ジャック』のものではないのだから。
「喉、渇いたな。ギル、早くお茶入れてよ」
「あ、ああ。コゼーをかけるのが遅くなったから少し冷めてしまったかもしれないが……」
「えー。ぬるくなってたらおしおきなー」
「おしお……!?」
いそいそとテーブルにつきながら、オズは笑う。先程の質問の意味がわかっていないだろうギルバートは「なんだったのだ」という顔をして、それでもお茶の支度をするために傍らに立った。
あのときはジャックを見たのかもしれないけれど、今のギルバートはこうして自分のことを見てくれる。それならこれからも自分だけを見させてやればいいだけだ。
(悪いけど、渡さないからね)
深淵にいるジャックに宣言する。ギルバートは自分のものだ。
昔のことなんて関係ない、自分のものと決めたら手放してなるものか。これだけは「受け入れる」わけにはいかないのだから。
そんなことを考えながら飲んだ紅茶は、カモミールの懐かしい味がした。
END.
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実はこれ、初のパンドラ本『Treasure,waiting for me』の没原稿です。5本の短編集だったのですが、『お題2.私を見て』は元々この話でした。どうして没になったかは本を見れば一目瞭然なんですが、雰囲気がシリアスすぎてそぐわなかったのです。なので全く別の話にしてそちらに差し替えたのですが、この没原稿の存在をすっかり忘れておりました。そんなわけで今更救済。書いたのがちょうど一年くらい前なので、原作の進行と照らし合わせて見ると色々矛盾があるかもですが、そこはご容赦!
私を見て、はオズのほうが思ってるんじゃないかな。どうしてもジャックの存在があるので。ギルからの「私を見て」は、単にオズの視線が欲しいって意味ですが、オズからの「私を見て」はちょっと意味が違ってくると思います。
11.01.06.