私をみつけて。
扉の軋む音がした。
上等な作りのドアは、普段軋む音などたてない。今の音はあまりにも力を入れずに押したからだ。
それとも本当に軋んだのは違うもの?
「おかえり、エリオット」
「……起きてたのか」
ぱちんと枕元のランプのスイッチを入れる。暗い中にそこだけひかりが灯り、リーオはそこに待ち望んだ友……主人でもある……の姿を見つけた。
「今日は冷えるね。雨のせいかなぁ。ココアでも飲む?」
「ああ……入れてくれるか」
「うん」
外はしとしとと雨が落ちている。エリオットがこんな雨の夜、どこに行っていたのかを知っている。それから今どんな思いでいるのかも。
ラトヴィッジ校の寮には簡単なキッチンがついている。せいぜいお茶を入れるくらいしかできないのだが、それだけあれば十分だ。
リーオはキッチンに立つと、ココアの缶を手にした。中身が十分残っていることを確かめて、ミルクの瓶を手に取る。適当な量をミルクパンに注ぐと火にかけた。すぐに沸騰しないように、火は弱火。
「濡れてない?早く着替えたほうがいいよ」
「……わかっている」
本来の消灯時間はとっくに過ぎていた。とはいえ厳しい校則があるラトヴィッジ校といっても、少しあかりをつけたくらいで咎められることはない。それより問題になりそうなのが無断外出だ。エリオットのことだから見つかるようなことはしないだろうけれど、本来の彼からしたらそんなことをするなんて考えられない。規律を重んじ、どこまでも真っ直ぐな自分の主人のことを考えて、リーオはエリオットをそうさせている人物に対して苛立ちを覚える。
こんなの間違っている。
でもその言葉は口にしない。エリオットは自分でそのことをよくわかっているはずだから。
リーオはミルクを火に預けたまま、部屋へと戻った。エリオットは上着を脱いでそれを手に持ったままぼんやりとしている。
無言で手を差し出して上着を渡すように促すと、エリオットはようやくリーオの顔を見た。当然リーオにもエリオットの表情がよく見える。これが本当にエリオットだろうか、とリーオは感慨もなく思った。
きりっとした眉につり目がちな眼をしたエリオットは、ぶっきらぼうな物言いも手伝ってか初対面の人間には誤解されやすい。だけどナイトレイ家の家族や学園の親しい人々は知っている、真っ直ぐすぎるだけで本当はとても優しい少年なのだと。
感情がそのまま表情に現れるエリオットだけど、今の表情はあまり見たことがなかった。こんな、弱々しい泣き出しそうな表情は。
エリオットが頻繁に悪夢にうなされていることを、同じ部屋で一緒に暮らしているリーオはよく知っている。そのときでもこんな表情は浮かべない。単純な嫌悪でも苦しさでもない、もっといろんな感情が浮かんでいる表情だ。
「エリオット」
呼ぶと、エリオットは顔を笑顔にする。でも笑っていないのなんて明らかだ。
リーオは手にしたエリオットの上着を傍らの椅子にそっとかけた。
そして手を自由にしてから伸ばす。エリオットへと。
抱きしめたエリオットの身体からは知らないにおいがした。
汗のにおいと……それからなんだか生っぽいにおい。シャワーを浴びずに帰ってきたようだ。
「なんだよ、リーオ」
突然リーオに抱きつかれて……いくら抱きしめても、エリオットよりだいぶ身長の低いリーオには抱きつく結果にしかならない……エリオットが困ったような声を上げた。そんなエリオットに対して自分の中で静かに暴れる感情を感じながら、リーオは口に出した。
「泣いていいんだよ」
「……は?」
なにを言われているのか判らない、というエリオットの返事。自分でもわかっていないのだろうか、とリーオは少し腹立たしく思った。
今エリオットが本当に望んでいること。それを叶えてあげられるのに、エリオットの心は今、リーオではなく憎いあの人物でいっぱいなのだろう。
「エリオット」
とくんとくん、と規則正しいエリオットの鼓動を聞く。正しいリズムを刻む心臓すら憎らしい。
あの男はこんなふうにエリオットを抱きしめてくれるのだろうか。もしそうだとしたら、そのときエリオットの心臓はこんなに落ち着いていないに違いない。きっと早いリズムを刻んでなにも言えなくなってしまうのだろう。むかつく、とリーオは心の中で吐き捨てた。
そんな気持ちはおくびにも出さず、リーオはエリオットの背中を撫でる。鍛えているおかげで、細いばかりのリーオよりもだいぶ筋肉のついた背中。それでもきっと子供扱いされるのだろう、そしてそれで怒るのだろう。
「……ふ、」
エリオットの手がリーオの背中に回った。簡単にリーオの身体は包み込まれてしまう。抱きしめた腕に力を込められて、エリオットの潤んだ声が零れるのを聴いた。
「エリオット」
ただ何回も名前を繰り返す。
エリオットの欲しい言葉を与えてやっても、きっと届かないに違いない。あの男の声でなければ届かないのだ。
こうやって抱きしめて泣かせてあげることができるのに。エリオットの目はあの男しか見ていない。心もあの男にしかない。
馬鹿じゃないの、とリーオは思う。それだけ想ってやる価値のある人物だとは思えなかった。
大切にしてくれるどころか、好きなように弄んで貪って、エリオットの心をぼろぼろに傷つけて返してくる。
リーオはエリオットを抱きとめたまま、ぎゅっと奥歯を噛みしめた。
自分ならこんなふうに泣かせたりしない。大切にするし、きっと笑顔でいさせてあげられる。
それなのにあの男がいいというのだ、エリオットは。
「僕は君のことならなんでもわかる。……好きなんだね」
返事はなかった。
でもその沈黙と零れる涙が答え。
どうしようもない、とリーオは嘆息する。エリオットも、そして自分も。どこにも行けないままだ。
「あったかいココアを入れてあげる。すぐにあったまるよ」
温かいココアでも、冷え切った心までは暖められない。わかっているけれど、他にしてあげられることはないのだ。
それでもしてあげられることがあるのなら。エリオットの拠り所になれるなら。そんなことでもかまいやしない。
エリオットは幸せになれるのだろうか。あの男がエリオットを幸せにしてくれるのだろうか。
リーオにはそれが叶うこととは思えなかったけれど、エリオットはそれを望んでいるし、それしか頭にないのだろう。
だから気付かない。
エリオットが望みさえすれば、すぐに叶えてあげられるのに。
リーオは揺れるエリオットの背中を抱いて呟いた。
「大丈夫だから。きっと」
その言葉はエリオットに向けたものなのか、それとも自分に言い聞かせたのかは判らなかったけれど。
END.
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この作品は、元々お友達にプレゼントさせていただいたものです。『未草』さまと『LOOP』さまにて掲載していただいております。ありがとうございます!
今回ブレエリ部屋を作るにあたって我が家にもようやく載せることができました。
ブレエリを教えてくださった、そして一緒に語ってくださるmizさんとみやさんに感謝です。これからもブレエリをよろしくお願いいたします。
タイトルは、第二期EDの『私をみつけて。』ってブレエリっぽいよね、という妄想から(笑)。私の中でブレエリテーマソングなのです。
10.05.30.
再録:10.07.22.