あなたにキスひとつ
ふわりと窓際のカーテンが揺れた。初夏の少し高めの気温を感じるところに気持ちのいい風が吹き込んでくる。こんなところにいれば眠気の一つも覚えて当たり前だろう。
しかし先程から、この部屋にいるギルバートは一人逡巡していた。
この部屋に相談できる相手などいない。そもそも他人がいたのならこんなに悩む必要はなかったのだが。近付いたり、かと思えばぶんぶんと頭を振って離れたり、端から見ていたらギルバートはかなり不審な行動を取っていたに違いない。
原因はいつものように、目の前にいる彼の主人。しかしそのオズはテーブルにつっぷしてすやすや寝息を立てていた。
気持ちのいい陽気に眠気を誘われたのだろう。傍らには開きっぱなしになった本がぽつんと置いてあった。
なんの気なしに部屋を訪ねたギルバートがそのことに気付くのに時間はいらなかった。しかしそのあとふと頭に浮かんだことがらに、現在不審な行動を繰り返しているのだった。
文字にすれば単純なこと。
オズにキスしたい。
それだけだ。
しかしそのシンプルにしてその裏かなり難しいことがギルバートに簡単にできようはずもない。
(寝てるし……いいよな?いつも「たまにはギルからしろよ」って言われてるし、こんなときくらい……)
(いや、やっぱり駄目だ!寝ているところに勝手に……なんて卑怯じゃないか。駄目だ駄目だっ、そういうことはオズがちゃんと起きてから……)
(でもオズが起きたらできるのか?……いや、無理だ……。じゃあやっぱり今……)
ぐるぐるぐる。
ギルバートの思考は堂々巡りを繰り返す。同じところを行って返って、全く進展しない。
何度目かに離れて、腕を枕に横を向いて眠るオズの顔をちらっと見やった。やっぱりかわいい、と心中甘い感情を覚える。そのかわいらしさがギルバートに一歩を踏み出せさせずにいるのだが。
眠るオズの表情は外見年齢通りのあどけないもの。長いまつげが落ちて影を作っている。深い眠りに落ちているのかギルバートが何度も近付き離れ……していても目覚める様子はない。
(よし、今度こそしてみせる!なんてことない、ちょっと触るだけなんだから!ちょっと触って、すぐ離せば……)
もう何度目になるのかわからない決意を胸にして、ギルバートはそっとオズに近付いた。頬にかかる髪をやさしく手でのけて、オズの唇に顔を……。
(……っ、やっぱり……)
頭の中でその様子を思い浮かべただけで真っ赤になってしまったギルバート。思わず身を引いてしまった瞬間に、なにかがギルバートの腕を掴む。ギルバートの心臓が飛び出してしまいそうなほど大きく揺れた。
「いい加減にしろよ……」
ギルバートの目の前にいるのはぱっちり目を開けたオズ。不満そうに膨れているその様子はどう見ても寝起きではない。
「オオオオオズっ……!?まさか、起きて……!?」
一旦大きく振れた鼓動はそのまま激しくリズムを刻む。ギルバートの声が裏返った。
ギルバートを捕まえたまま、オズはやれやれとため息をつく。
「寝てたよ、初めは。でもギルがキスで起こしてくれるのかなーって思ったから待ってたのに。全然してくれないんだもん、お前」
「それはっ……そんなつもりは……」
「王子様が起こしてくれないからさー、待ちきれなくなっちゃった」
「オズ……!」
心底呆れたという表情でオズは語った。
ギルバートにまともな言葉を紡ぐことなどできようはずもなかった。キスしようかしまいか何度も迷っていたことに気付かれていた。その事実に恥ずかしくて死んでしまいそうだった。
「なんでしてくれないの。お前ならどうせ一瞬だろ?」
さらっと言外に「このヘタレ」と含まれる。
確かに情けないことをした自覚は存分にある。しかしだからといって。
「だっ……だって、オレからとか……寝てるからとはいえオズはオズだし」
更に情けなく言い訳するギルバートに、オズは大きなため息をついた。そして言う。その言葉はギルバートの心をあまく締め付けた。
「少しはオレの身になれよな。お前がオレだったらあんなふうにされてどう思う?『したくないんじゃ……』とか思わない?」
「……それは……おも、う……」
オズに不安を与えていたのだと知り、ギルバートは自分を責めた。
いつもオズからもらえるキスがどんなに安心をもたらしてくれていたか。オズにキスされる度に深く愛されていることを感じて幸せな気分になれたのに。
なのに結局オズにはそんな安心を与えてあげられなかった。ギルバートの胸に後悔が押し寄せる。
「だから、してよ。ちゃんと」
オズがギルバートの袖を引いた。どきりとして、ギルバートはごくんと唾を飲み込んでいた。
そんなふうに誘ってくれるオズはどこまでもやさしい。期待に応えなくてはいけないところだろう。
「……オズ」
ギルバートが呼ぶと、オズは「全てわかってる」と言いたげに微笑んで目を閉じた。
意を決してギルバートは顔を近付けた。熱までもが感じられそうな距離に顔を近付けるとオズの吐息が感じられる。それにまたとんでもなき恥ずかしさを感じるけれど、逃げないようにぎゅっと目をつぶって、そっとオズの唇に唇で触れた。そこは柔らかく、ほんのり熱を持っていった。
ただ触れ合わせただけで、ギルバートは身を引こうとした。それを追いかけてオズの唇が更に押し当てられる。
しっとりとあわさった唇から熱い吐息と微かな声が零れる。それはもうどちらのものかもわからなかった。
息が苦しくなってようやく顔を離すと、目を開けたオズは本当に嬉しそうに笑う。
「おはよう、ギル」
「……おはよう」
その笑顔にギルバートの緊張がするするとほどけていった。良かったのだ、オズにキスしても。オズをちゃんと満たしてあげられたことに安心する。
抱きついてきたオズの身体を受けとめながら、次は必ず自分からしようとギルバートは強く決意していた。
END.
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ギルのへたれは正義だと思います。そんなところがかわいいのですが……オズは大変ですね。
10.06.01.